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ミナミトミヨの発見と絶滅
Discovery and extinction

いまから100年ちょっと前の大正3年(1914)のある日、旧制柏原中学(現在の柏原高校)2年生の田中弥三郎(たなかやさぶろう)君と芦田富治(あしだとみじ)君が成松町(現在の丹波市氷上町成松)の加古川の支流、葛野川の一帯で魚捕りをして、体長4~5センチの小魚を捕まえました。トゲがあるこのかわいい魚を、彼らは初めて見たのでしょうか。魚の名前を知るために、担任の中川純先生のところへ持っていきました。

ところが、博物学が専門の中川先生も判別できず、「これは珍しい魚だ!」と「近代魚類分類学の父」と評される東京帝国大学(現在の東京大学)の田中茂穂(たなかしげほ)教授に鑑定を依頼。すると、驚きの鑑定結果が!なんと新種であると認定され、柏原中学の生徒が発見したことにちなんで「Pungitius kaibarae」(ピゴステウス・カイバラエ)という学名で登録されました。また、トミヨ属では一番南に生息することから、ミナミトミヨという和名になりました。

しかし、発見から20年ほど後の昭和10年(1935)頃から姿が見られなくなり、昭和29年(1954)に兵庫県生物学会の調査でも生息が確認されず、1960年代に日本産魚類では絶滅種第1号の淡水魚に指定されました。 絶滅の理由ははっきりしませんが、大正時代に圃場整備(ほじょうせいび)がおこなわれ水路が変更されたり、上流に工場ができたりと、近代化による環境の変化が大きかったようです。 現在、ミナミトミヨが発見された湧水池(ゆうすいち)は埋め立てられ、その脇の妙寿寺にミナミトミヨの碑が建てられています。その一方で、まだ丹波市のどこかに生きているかもしれないと、柏原ロータリークラブ「ミナミトミヨわくわく委員会」の有志が中心となり、探索や研究、啓発などの活動をおこなってきました。

画:樽本龍三郎
著作権:柏原ロータリークラブ 制作者:村上裕喜子

ミナミトミヨと水分れ

ミナミトミヨはトゲウオ科トミヨ属の淡水魚で、体長約4~6cm。背中に9本のトゲがあるのが外見上の特徴です。地元の人には「カツオ」や「サバジャコ」とよばれ親しまれていたそうですが、カツオやサバに形が似ていたのでしょうか。
3~4月の繁殖期になると、オスが水草の茎に丸い巣をつくり、メスをここに誘って産卵、その後オスが卵を守ります。
巣を作って繁殖するのは、トミヨ属の特徴でもあります。

水温17℃以下の冷たい澄んだ水でしか生きられず、きれいな湧き水がある場所を好んだミナミトミヨは、丹波市のほか京都府でも発見されましたが、丹波市では成松など葛野川(かどのがわ)の伏流水(ふくりゅうすい)(※1)が流れる水路でその姿を見ることができたそうです。最近の研究で、遺伝的には500万年以上前に分化(※2)したと推定されています。長い間ほかのトミヨ属の魚と交雑しなかったのは、生息域が限られていたことが大きな理由と思われます。

では、なぜ丹波市に生息していたのでしょうか?2つの説があります。1つは日本海側の由良川水系からやって来て、分水嶺(中央分水界)を越えて加古川上流部に定着したのではないかという説です。もう1つは、地殻変動で土地が隆起した時代も丹波ではその影響が小さく、そこに湧き水があって奇跡的に生き延びたという説です。いずれの説も、水分れが本州一低い分水嶺(中央分水界)であることと深く関係していると考えられます。

  • ※1 伏流水:河川から水が河床の下へ浸透することで水脈を保っている極めて浅い地下水。
  • ※2 分化:等質・単純なものが異質・複雑なものに分かれていくこと。

ミナミトミヨを語り継ぎ、再発見を目指す

ミナミトミヨに関する活動を牽引する柏原ロータリークラブの会長、山名純吾さんと、丹波市内の学校で郷土学習や環境学習の教材として活用されている絵本『ミナミトミヨ物語』の作者の村上祐喜子さんに、活動についてやミナミトミヨに対する思いなどお話しいただきました。
Q1
柏原ロータリークラブでは、ミナミトミヨに関してどのような活動をおこなっていますか?

柏原ロータリークラブには、かつてミナミトミヨが生息していた場所の近辺に住んでいた会員が何人かいまして、地元でミナミトミヨという魚がいて、自分たちも見たことがあって、それが絶滅してしまったということで、環境保護活動にも結びつくだろうと、平成20年(2008)から本格的にミナミトミヨの調査をスタートしました。人間の暮らしを優先させてしまった自分たちの贖罪(しょくざい)の気持ちもあったと思いますね。
結構膨大な資料を集めていますよね。絵本を描くときに資料をたくさんいただいたのですけれど、すごいなと思いました。
資料集めだけでなく、ミナミトミヨがまだ生息しているかもしれないから探してみようじゃないかと現地調査も積極的におこないました。丹波には水のキレイなところもあるので、そこに行けばいるかもしれないと、いいおじさんたちが長靴履いてカッパ着て、森の奥までみんなで探しに行ったのです。それから、セミナーやシンポジウムを開催して、福井県大野市の「本願清水イトヨの里」の館長の森誠一先生や、ミナミトミヨについて詳しい神戸新聞社北摂総局総局長だった三木進さん、魚類学者で絶滅種となったクニマスの再発見でも活躍したさかなクンもお招きし講演していただきました。
さかなクンは水分れフィールドミュージアムのオープンの時にも講演会をしていただきましたね。
そして、小中学生に絶滅した経緯についてわかりやすく伝えたいという思いがあって、そのためには絵本が一番だろうと、絵本作家として実績のある村上さんにお願いしたんです。
Q2
『ミナミトミヨ物語』を描くにあたり、どのようなことに気を配りましたか?

もともとは育児日記の延長で、手づくりの絵本をたくさんつくってきたのですが、主人の本籍地の丹波に家を建てて、ここでいきいきと暮らすために絵本の講座を開いたんです。そんな地域とのご縁でお声がけいただき、『ミナミトミヨ物語』を描かせていただくことになりましたが、それまではミナミトミヨについて全く知らなくて…。どういう環境で生きていたのかを学ぶために成松に行ったり、それこそ水のキレイなところへと山奥へも足を運んだりと。
行きましたね、道なき道を。
良い絵本にするために、実際に絵になりそうな風景をこの眼で見たいという思いで丹波の奥の奥まで行きましたが、すごく自然が残る良い土地なんだなと改めて実感させてもらいました。 子ども向けの絵本にするにあたり、絶滅種に指定されてしまったという事実は悲しいのですが、もしかしたらまだどこかで生きていて見つかるかもしれないという、そういう夢や希望を与えられるように、楽しく伝えようと思いました。もちろん私も、ミナミトミヨがまだ生きているかもしれないという希望を持っています。
Q3
現段階で、ミナミトミヨの実地調査の結果はいかがですか?

丹波市内をくまなく探して見つからなかったので、本当にいなくなったのかもしれないということを実感しています。残念ながら、一度失ったものが再び出てくるという手応えはいまのところないですよね。丹波市では見つかりませんでしたが、もしかしたら近隣の市町とかにいるかもしれないという希望は心の片隅に抱いていますが。 調査で実感したのは、川の環境がこの数十年で激変したことです。すっかりコンクリートの三面張りになりましたし、豪雨も増えています。治水と利水を優先すると、どうしても環境保全を軸としたプランは難しくなると思います。人間の都合で曲がりくねっていた川をまっすぐにしてしまいましたが、ゆがんでいたところにさまざまな生物が生息していたんですよ。でも、そういうところはまだ残っていますので、大切にしていきたいですね。
Q4
ナミトミヨの標本はいくつか保管されています。そのDNAをもとに、
バイオテクノロジーの進化で復活する可能性もあるかもしれませんね。

人間の都合で絶滅して、人間の都合で復活するのもどうなのでしょうね。ちょっと怖い気がします。
自然の流れに従って復活してほしいですよね。もし人工的に復活しても、生息できる環境がなければ意味がありませんし。
「水分れフィールドミュージアム」には標本をもとにした実寸大のミナミトミヨのフィギュアがありますが、小さくてかわいいですよね。
非常にスリムで、上から見るとメダカのようにも見えたそうです。巣をつくって産卵するのも特徴で、オスが巣を作るのですが、メスの方がオスより大きいので、オスは大きな巣をつくらないとメスを入れることができないし、メスはそこで卵を産むだけで、育てるのはオスなんです。オスはいたいけですね(笑)。
時代を先取りした「イクメン」、いや、「イクギョ」だったのですね(笑)。
Q5
もしかしたらまだどこかで生きているかもしれないミナミトミヨのために、
私たちができることは何なのでしょう?

今年の春、豊岡市で、ミナミトミヨと同じトゲウオ科で絶滅危惧種のニホンイトヨが発見されました。トゲウオ科は湧水など水のきれいな場所を好むようですが、丹波でもそういう場所が途絶えないようにする活動が必要だと思います。 また、丹波にはホトケドジョウという絶滅危惧種が生息していますが、ミナミトミヨと同じ命運にならないよう、保全活動を支援していきたいと思います。 気候変動などで環境の変化を肌で感じる昨今、ロータリークラブは環境に対する意識を強めていますし、地元の環境を守っていきたいという熱い気持ちを持っています。丹波は一見、緑豊かで自然に恵まれているように思われるのですけれど、細かいところには時代の負の側面もうかがえるので、守るべきところはこれからも大切にしていかないといけません。 また、丹波市ではごみを減らそうというプロジェクトが動いています。家庭から、小さなことからスタートして、環境を守っていこうという意識を培っていくべきではないかと思います。
丹波にいると自然と共生していることを感じられます。身近な緑ひとつからも気持ちよさを感じられ、体が喜ぶという実感があります。ミナミトミヨも丹波竜も消えてしまいましたが、それらが丹波で暮らしていたというのは、自然環境が素晴らしいからではないでしょうか。自然は丹波のかけがえのない財産です。
氷上回廊は本州一低い分水嶺(中央分水界)で、豊かな生物多様性があります。通りやすいから植物も動物も交流する地点になっていたのでしょう。また、有名な丹波霧も南の暖かい空気と北の冷たい空気がぶつかって発生し、それが農産物に良い影響を与えています。丹波は人も自然も交流する地域。ですから都市からもいろいろな人に来ていただいて、ミナミトミヨのことも知っていただきたいですね。 丹波の豊かな自然や生物多様性の象徴的存在だったミナミトミヨが、淡水魚の絶滅第1号になってしまったことは名誉なことではありませんが、その事実をしっかり受け止めて、そこから気づきが生まれて、次の世代へメッセージが送れるのではないでしょうか。そのためにも、僕たちは今後も活動を続けていきます。
取材日:2021(令和3年)年8月31日