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氷上回廊氷上回廊

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氷上回廊

氷上回廊とは

氷上回廊とは

食文化

独特の自然が生み出した豊かな食文化。
氷上回廊(ひかみかいろう)がもたらした気候風土と人々の交流は、
丹波栗、黒豆黒大豆、丹波大納言小豆、山芋、松茸など、
「何をつくっても、美味しい」と称えられる豊饒な土地と文化を生み出しました。

豊かな水と、丹波霧

南北の気候が出会う兵庫県丹波市あたりは、豊富な雪や雨の恵みで、古来、美味しい農作物がとれる地域として栄えてきました。
また、春や秋には昼夜の寒暖差が深い霧を生みます。

丹波霧とも呼ばれるこの乳白色の濃い霧は、乾燥しがちな秋の森や畑をしっとりと包み込み、小豆や黒豆が大きくつややかに成熟するのに欠かせない潤いをもたらしてくれます。

この潤いと寒暖差は、秋の香り、松茸にも不可欠といわれ、ほかにも栗やブドウ、梨、ブルーベリーなど、さまざまな果実を健やかに甘く育てることも助けます。

豊かな土壌

氷上回廊の低地帯は人々が耕作する以前、広大な湿地が広がっていたと考えられています。
山々から流れ集まる川は山裾に豊かな土を運び込みますが、標高95mの低地帯である氷上回廊では、山裾に運ばれた土が緩やかな河川沿いに深く堆積し、多様な生きものと豊かな土壌を育みました。
丹波地域の耕土は今も深く粘り気があるのが特徴と言われ、「何をつくっても美味しく育つ」豊かな田畑となっています。

丹波三宝

兵庫県丹波市の特産品の中で「丹波栗」「丹波黒大豆」「丹波大納言小豆」の三つの農産物は丹波市が全国に誇る宝物ともいえる特産品であることから“丹波三宝(たんばさんぽう)”と名付けられました。
“丹波三宝”の特徴は、丹波特有の気候風土により、素材の風味が強く、比較的粒が大きいこと、古くから朝廷や幕府へ献上されるなど伝統的な産品であったこと、農家がこだわりと高い技術を持ち、守り、育んでいたことが挙げられます。
これらの宝のような特産物を、そのまま素材として他府県に出荷するばかりではなく、産地の兵庫県丹波市で高級和菓子やスイーツとして活用され注目されています。

丹波地方で育つ『丹波栗』は、持統天皇が栽培を奨励したとも言われ、古事記や万葉集、日本書紀にもその名を記載されているほど古くから知られています。特産品として都にも認められて税金がわりに納めていたという記録もあります。さらには「市場に持って行くと銀と交換できる」ことから「銀寄」という品種があるほど。甘みがあっておいしいのはもちろん、大きさや色つやもよく、現在でも最上級品として市場で高い評価をされています。秋の収穫シーズン後は、渋皮煮や栗ごはん、和洋のスイーツなどが多く出回ります。

丹波地方を代表する農作物のひとつが『黒大豆』です。粘土質の土壌と、朝晩を霧に包まれる気候は、大豆の育成にとても合っています。粒が大きくて色つやの良い黒大豆は、市場でも高く評価され、お正月の煮豆も、おせちにかかせない料理です。最近では熟成しないうちに収穫する「枝豆」としての人気も急上昇。「黒枝豆」は一般的な早生品種が出回る夏よりも遅い、10月ごろの本黒と呼ばれる品種が、味がのって美味しくなります。この季節は丹波市内の道の駅や直売所などで販売され賑わいます。

宝永2年(1705年)、当時の丹波亀山藩主(現在の京都府亀岡市)・青山忠重が「丹波国・国領村東中(現在の兵庫県丹波市春日町東中)に産する小豆は比類なきもの」として、庄屋に命じて納めさせた小豆の中から、特によりすぐったものを幕府に献上したとの記録があります。一部は朝廷にも献上されていたのだとか。粒が大きくて甘みがあり、煮詰めても割れにくい小豆は、殿中で抜刀したとしても切腹をしないですむ大納言に例えられて『大納言小豆』と呼ばれるようになったと言われています。丹波大納言小豆発祥の地である兵庫県丹波市春日町東中では在来種(原種)の丹波大納言小豆「黒さや」が復活し、“幻の丹波大納言”として最高級の丹波大納言小豆が栽培され、注目を集めています。

多様な生きものの恵み

そして、さりげなくそうした田畑を助けてくれているのは、多種多様な生きものたちであることも忘れることができません。
野菜や果物が葉を広げ、花を咲かせ、実を結ぶには、農家の努力はもちろんですが、小さな生きものたちの手助けやつながりも欠かせません。

南北の気候が行き交う氷上回廊には野山の多種多様な草木とともに、小さなミツバチやチョウなどの昆虫から小動物や小鳥、鷹やフクロウなどまでさまざまな生きものが息づいています。
そうした生きものたちは、雪の多い年にも、大雨や干ばつの年にも、互いに補い合うように作物の稔りを助けてくれたり、山菜や木の実、キノコなどの山の幸として人々の食卓を豊かに支え続けてきました。

今も、タラの芽、山蕗、わらびなどの山菜は農家の春の食卓を賑わせていますし、秋のキノコに、しろぼん(ショウゲンジ)、ねずみのあし(ホウキタケ)など地元特有の名前がついていることも、豊かな里山文化を感じさせてくれます。

豊かな人の交流、お殿様のお取り寄せスイーツ

丹波地域の人の歴史は、2万5千年以上前にさかのぼりますが、稲作の歴史だけ見ても弥生時代(紀元前1世紀頃)以来、多くの遺跡や伝承が残っています。

和洋のお菓子に使われる大粒の丹波栗も栽培の歴史は古く、平安時代の行政資料である延喜式(えんぎしき、927年に成立)には、宮中の食事につかわれる御贄(みにえ)や菓子などとして相当量の栗が毎年貢納されたことが記されています。

時代が下っても、氷上郡栗作郷(くりつくりのさと)に甘栗御園があったとの記録があります。
江戸時代初期には丹波の栗が大粒で高品質であることがしばしば記述されており、京や大坂だけでなく、はるばる江戸まで運ばれていた様子も伺われます。

また、丹波地域の農村地帯は、古来、都への貢納とともに周辺各地との交流も盛んだったのでしょう。各村各農家が丹精込めて農作物をつくるだけでなく、村や藩など地域をあげての品種改良にも熱心であったようです。
そうした中で、江戸時代初期の宝永2年(1705年)、当時の丹波国を治めていた丹波亀山藩(現在の京都府亀岡市)の初代藩主・青山忠重は、国領村東中(ひがしなか)(現在の兵庫県丹波市春日町東中)の小豆が優秀なことに注目し、特に選りすぐりの小豆一斗を5代将軍徳川綱吉に献上し、激賞されます。さらに綱吉は、その中の粒選りのものを朝廷に献上したところ、無類の評価を得たことが丹波大納言小豆のはじまりと言い伝えられています。
その後、青山家は国替え(転封)をはさんで幕末まで、毎年この国領村東中(ひがしなか)の小豆を取り寄せては献上しつづけたことから、宮中や幕府では毎冬恒例のお楽しみ、いわば「お取り寄せスイーツ」として賞味されたといわれています。

丹波の食文化は、豊かな自然の恵みと古来の人々の交流とが結晶した、素敵な財産なのです。