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氷上回廊

森と川は切っても切れない関係

先生の丹波市での活動は多岐にわたりますが。

普段は三田市にある兵庫県立人と自然の博物館(ひとはく)の学芸員をしていますが、丹波市に関しては三田からも近く自然が豊かなところなので、野外活動体験から研究、シンクタンクまで、あらゆる分野でフィールドとして関わりをもっています。 私の専門分野は水生生物、特に河川の生物です。ただし、川の環境の保全をしようと思っても、川だけでは完結しないのはご存じの通りで、森との関わりは切っても切れないのです。大学院時代には森と川の繋がりについて研究してきましたが、博物館に勤めてからも森と川の繋がりから丹波の自然をとらえなおすことが、丹波での活動における大きなテーマになっています。 その森と川の関係のことなのですが、丹波篠山市ご出身の河合雅雄先生が編集した中公新書『ふしぎの博物誌』に、丹波の川のことをイメージして「森から川への贈り物」という1編を書かせていただいたのですが、実はこれが茨城県と和歌山県の公立高校の入試問題や東京都の統一学力テストに使われているのですよ、理科ではなくて国語で。ちなみに、同じ年の公立高校の現代文の試験に同じ文章が2回出たのは僕くらいなんですよ。さしづめ、ライバルは夏目漱石と清少納言です(笑)。 そんな訳で森と川の生態系の面白さから、恵みを受けております。

森と川の繋がりは重要なテーマなのですね。

森の恵みで一番顕著なのは、湧き水ですね。丹波市ですと、青垣のバイカモです。春から秋にかけて可憐な花を咲かせるバイカモは、湧き水を好んで群生します。このバイカモの再生を県の土木部署の方々と一緒に取り組み、計画を立てて進めてきました。いまもきれいに咲いてくれています。しっかりした森が無いと湧水は維持されません。 実は、この活動は丹波竜の化石にも結びつくんですよ。

丹波竜の発掘よもやま話

どのように結びつくのでしょう。

河川整備に関して県の土木の事務所の方々と一緒に仕事をしてきて、毎日のように意見交換していたところに、丹波竜の化石が川沿いに出てきたんですね。その連絡を受けてバイカモだけじゃなく、化石もしっかりと保護しつつ河川整備のなかで発掘できるように対策を検討してくださりました。発見されてから半年も経たないうちに県庁と土木事務所で予算措置や工事の手ほどきしていただき、しっかりと教育委員会にバトンを渡したんですね。恐竜化石の発掘などが、こんなにスムーズに進む例はきっとほとんど無いと思います。これも、実は丹波の森の恵みなのかも知れませんね。 県土整備部だからこそ規制や条例もよくご存じで、県内での河川環境整備の仕事を一緒に進めていたこともあり、当時の管理職の方が「初期整備は任しといて!」と一肌脱いでくれました。巡り合わせですね。そういう意味でも、丹波竜は奇跡の発掘だと思います。県の土木職員さんによる地域コミュニケーションと実行力があっての発掘だったと思います。今も、丹波竜の発掘を助けて頂いた皆さんと一緒に、別の川で環境対策を進めることや、企画展示に出展してもらうなど、相互に協力頂いております。

丹波は稀少な水生生物の宝庫

ひとはくでは丹波市で水生生物の観察会を開催しているそうですね。

丹波市と一緒に、青垣で河原探検と称した水生生物の観察会を開催しています。毎年満員御礼で、野外体験した人は個人でも青垣に来てくれます。理由は種類も数もたくさんの生物が採れるからです。良い川でしっかり観察会をすると、ファンは根付きます。観光の基盤という意味でもすぐれた自然はきわめて重要ですが、それを生かすためにも、河川の環境保全や観察や野外体験を担う方々がいないといけません。この観察会では、青垣いきものふれあいの里の方が講師になって指導頂いているおかげで、ほとんどの参加者が絶滅危惧種を採ることができるなど、水族館では決して体験できないプログラムになるんですよ。地域には、青垣いきものふれあいの里もあれば、アマゴを手づかみ体験できる施設やキャンプ施設、きれいな川が随所にあるので、青垣に行けばいろいろな自然体験ができる、そうなれば地域の価値はより向上することになります。地域の魅力は、優れた自然とその理解を助けてくれる人がつくるのです。そういう意味でも博物館がしっかりと観察会をすることで、地域の魅力や人材が生み出されることになります。これも博物館の果たす大切な役割です。

丹波市には絶滅危惧種のホトケドジョウや、絶滅してしまったミナミトミヨなど、めずらしい魚の生息地がありますが。

淡水魚が30種類以上生息し、絶滅危惧種がたくさん生息する場所が丹波市内にあり、その場所の保全に力を入れてきました。兵庫県内でもっとも保全すべきエリアの1つかも知れません。しかし、最近になって、その場が兵庫県随一の貴重な自然であることを知らずに、大規模な改修工事が進められたことがありました。しかし、漁協や地域の方々からの指摘もあって、工事は一旦停止し、大きな改修にはならず、出来る範囲で環境配慮して頂きました。地域の方が地域の自然を知っていることは大きな力になります。地域の親切な対応もあって、コンプライアンス違反とならずに済みました。地域の自然を地域が知ることは、誰にとっても大切なことなのです。

丹波市の絶滅危惧種の淡水魚では、ホトケドジョウがあげられます。国内の分布の西限にあたります。こちらは、地元の活動グループの方々が調査や保全活動を進められているので、まだ何か所かでの生息が確認されています。 丹波市での淡水魚となると、やはり過去に絶滅したミナミトミヨになります。何といっても、学名は〝Pungitius kaibarae〟と柏原なんです。このミナミトミヨの標本ですが、丹波市の青垣いきものふれあいの里に保管されています。他にも採集されていたのですが、市外に流出してしまい、きちんと標本が残されていません。なので、標本を容易には展示に活用できないため複製品をつくりました。市内で保存されている標本を高精細3次元CTスキャナで読み取って形状をしっかりデジタルで残しました。このデータを現物大と拡大したものを3Dプリンタで出力したものが丹波市立氷上回廊水分れフィールドミュージアム(以下:水分れフィールドミュージアム)に展示してあります。出力しようとすれば、いくらでも量産できる点がメリットです。将来的に、標本の産地情報などをもとに、映画『ジュラシックパーク』のようにDNAから復元したものを復活などできればよいのですが、そのためにも様々な資料をしっかりと残すことが大切です。青垣いきものふれあいの里や水分れフィールドミュージアムは、こうした丹波地域の生物多様性の記録を残し様々な形で伝えることが大きな役割になっています。

水分れフィールドミュージアムの魅力

水分れフィールドミュージアムのリニューアルにも関わったそうですが。

まだ学芸員が不在だった水分れ資料館時代から関わって、リニューアルの際に展示の方針や運営の委員長として、主体的に対応させていただきました。限られた空間で、最大限の情報を詰め込む難しい仕事でした。展示づくりは、はっきりと評価される仕事で、〝なんちゃら構想や計画〟づくりのようにふわっとした美辞麗句を並べる仕事とは違い、膨大な情報や資料を現実世界に落とし込むことが求められます。結果は来館者数として如実に反映されるので、ある意味恐ろしい仕事です。この展示づくりは、ひとはくの加藤茂弘主任研究員、兵庫県森林動物研究センターの高木俊主任研究員の協力も得て、かなりの工夫を凝らして展示を作り込みました。スペースが狭いので、エッセンスを凝縮して、地球の誕生から生物多様性、文化や現代の恵みまでぐるっと巡回できるようになっています。これまで保管されていた既存資料も使いながら新たなトピックスにも対応できるように拡張性を出せるように設計しています。これには技術が必要であり、博物館の学芸員ではないとできない仕事なので、経験をいかして協力させて頂きました。

デジタルも駆使して、楽しい展示もありますよね。

砂で〝水分れ〟の地形をつくる体験型展示は、来館者が操作した結果が点数でも表示され、たぶん世界で類を見ない展示です。ここには地理情報システム(GIS)の技術が適用されていて、私の研究テーマとも関連します。水生生物の分布情報をビッグデータを使って、気温や地形、森林の状況などとの関連を地理情報に重ね合わせた数値解析をやっています。その技術を普及に応用しているんです。この展示の仕組みは〝水分れ〟の地形だけで利用していますが、六甲山や富士山、エベレストなど各地の地形を体験でもって再現することができるので、かなりイノベーションのある展示なんですよ。

デジタル技術が通じた「STEAM教育」への展開

水分れフィールドミュージアムの体験型展示では体で地形を感じることができます。

デジタル技術に加えて、体験的に分野横断型で楽しみながら学ぶというのは、これからの教育において重要な観点になり、文部科学省や兵庫県教育委員会でも「STEAM教育」が注目されています。「STEAM」とは、Science(科学)、 Technology(技術)、 Engineering(工学)、Arts(芸術)、Mathematics(数学)の頭文字からきています。 体を動かしながらの体験や工夫が学びと連動して、地形という基盤をもとにまわりの展示と連動させて事象を捉えてゆくと、立体的な学びになり、記憶にも残りやすいんですよね。これが博物館の持つ教育の機能で、座学と組み合わせることで一気に教育のレベルが上がります。 それに加えて野外学習ですね。生物多様性や文化歴史を実感できるフィールドがまわりにあれば、こんな良い教材はないですよ。まさしく、〝フィールド〟ミュージアムです。展示と周辺の町や自然を連動させてきちんと活用できるようにすることも重要になります。 開館して3年目になりますが、丹波市のスタッフの皆さんが熱心にこうした取り組みを館内外で展開して頂いた成果は来館者数にも表れています。おかげさまで以前は来館者が年間2,000人ちょっとでしたが、リニューアル後は3万人超と、十分な観光資源にもなっています。博物館を核として、しっかりとした展示や講座を通じて地域の学校教育や生涯学習に貢献するほか、まちづくりにも繋がります。このためには、美辞麗句と流行り言葉をちりばめた計画論だけでは意味がなく、具体的実践が必要です。実際に展示や空間に落とし込んでゆく博物館の技術が求められます。学芸員の役割は、単に研究だけはなく、資料の保存活用やまわりの地域資源を含めた空間づくり、キュレーションが必要となります。この点が大学とは大きく異なります。

博物館のノウハウが、観光資源を創り出すのですね。

つい最近の博物館法の改正においても、自然と文化を合わせた「文化観光」が注目されています。そういう意味でも博物館の重要性は、標本や資料の保管と教育の機能だけでなくて、地域の活性化に圧倒的に役に立つのです。ただし、観光だけに終始するのではなく、やはりその時に重要になるのが、博物館の資料や郷土史や埋蔵文化財などのいにしえからの地域資源です。それに加えて、そのことを地形や自然と連動させて、風土として語れる地域の人々の多寡こそが地域の持続性と活性化に繋がるのではないでしょうか。博物館はあらゆる人々に利用されるよう常に工夫と創造が求められています。 ところで、水分れフィールドミュージアムでは、まだフィーチャーされていないホットなトピックスがあるんですよ。

小さな看板に秘める伝統産業への思い

それは何ですか。

入口にある茅葺きの看板です。実はあれも趣向が凝らされていて、丹波産の茅と檜皮葺、実は予算が足りなくて杉皮でつくっているんです。普通の掲示板みたいな看板だと、となりの神社が立派なんで景観面で場違いになるので、茅にしようと。それと、伝統産業の要素を展示に入れ込めなかったので、この空間で演出できるようにしました。すみません、まだ十分にアピールできてないので、これから演出を考えてみます。こうした現代の看板のような造作物に伝統産業の技術を使えるようになると、職人さんの仕事の幅が広がりますよね。茅葺き屋根の葺き替えなどは定期的にいつも沢山の仕事がある訳ではないし、新設の茅葺民家の建設が法令上できないので、仕事は減る一方です。これは、檜皮葺だって同じです。このように、現代の意匠において小規模な仕事ができれば、伝統産業に従事する方々の仕事になる可能性があります。茅葺職人さんは、雨の日には作業できないですが、看板づくりなら仕事の隙間で作業できるので、伝統産業の継続にも貢献することができるでしょう。茅を刈って使う量が増えれば、草原の生態系の維持にも貢献し、文化と環境が両立します。

なるほど、その通りです。

しかも、あの茅には1つ工夫があるのです。特殊なシリコン樹脂を塗っているんです。それにより粉が回りに散らばらず、長持ちして耐候性や防火性も向上するのです。これは博物館の標本づくりの知恵が活用されています。この手法なら博物館だけではなく、都会のオフィスビルの看板にも活用できます。 ミュージアムの技術を見本にして、次の産業に結びつけるということも、実は博物館の重要な役割なんですよ。万博とか博覧会とかは、もともと博物館の起源なんです。いろいろな展示を通じ、未来の産業を創るというのは、ある意味博物館の原点なのですね。 つまり、あの小さな看板に、未来の伝統産業が目指すべきスタイルが詰まっているんです。でも、設置したときに職人さんと相談したところ、あんまりアピールせずに自然体にやろうということで、説明を掲載してないので気づかれていません。ちょっとアピール方法を考えてみたいです、これは大きな課題ですね。

産業界が注目する博物館ならではの技術

樹脂を塗るというのも、博物館独自の技術なのですね。

樹脂を染み込ませて標本を作製するプラスティネーションという技術ですが、これがきる人はほとんどいないんです、技術がマニアックすぎて。立体を残したまま触れるようにして展示する、そういう博物館ならではの「見せる技術」はとっても大切なんです。その技術を使って茅葺きや木材を長持ちさせて、燃えにくくさせることで、現代産業と伝統産業を融合できないか研究しています。

使用している樹脂に工夫があるのですか。

高分子の技術を持つ企業と共同開発した特殊な樹脂なんです。普通の樹脂はドロドロなんですが、それを化学合成してサラサラにすることで、染み込みやすくしているんです。なおかつ、染み込んだ後に痩せずに固まるんですよ。いま特許出願中です。こういう特殊な樹脂が普及すると、博物館の展示だけでなく、伝統産業も変わる可能性があるのではないでしょうか。 ちなみにこの技術を、ヒアリを巣を埋めて抑制することにも応用しています。建物の屋根や農業用水の水漏れ防止や、高速道路の橋梁部の漏水補修にも応用できないかと、さまざまなところでニーズが高まっているんです。上手くゆけば、博物館の貧乏体質が改善されるかもと思っていますが、まあ妄想レベルです。

思いもよらぬ分野で活用されそうですね。

博物館は長持ちさせて保存することに心血を注いできました。そこで培ってきた保存科学を、現在の産業に転用する。つまり、展示技術がイノベーションを巻き起こす可能性を秘めているんです。

水分れは外来種の拡大を防ぐ「砦」

丹波市にある兵庫県森林動物研究センターの客員研究員も兼務されていますね。

森林動物研究センターは設立時の準備室時代から関わっています。それまでシカの被害額を表で把握していたものを、地理情報システム(GIS)上に落とし込んで解析することで、面で把握できるようにし、どこに被害が多いかを推定し、経年変化を「見える化」するスキームの構築を知事の命令で研究開発していました。まあ、水生生物の研究をしていたのに、突然降ってきた仕事で大変でしたが。森林動物研究センターの取り組みは、野生動物管理において全国的にも先行的なモデルになっていますし、それは丹波市にとっても兵庫県にとっても大きなことです。

生物多様性に関して、いま、丹波市ではどのような問題が起きていますか。

外来種でひとつ大きな問題は、市島地区のジャンボタニシ(スクミリンゴガイ)です。市島では有機農法が盛んで薬剤を控えている耕作地が多いのですが、そのことで逆にジャンボタニシが蔓延してしまいました。また、水分れの特長を悪い意味で反映しているのです。ジャンボタニシは寒さに弱いのです。水分れは標高が低い、つまり気候が暖かいところが瀬戸内から日本海へと続くので、ジャンボタニシは生き延びます。丹波を突破されることは砦を突破されるようなもので、分水嶺を超えて日本海側にまで広がってしまう恐れがあります。そのために地域の方と一緒に、薬剤を控えた駆除に取り組んでいますが、苦戦しています。しかし、有機の里いちじまと言われることもあって、お米や野菜は抜群に美味なうえ、里山や水田には実に多くの生き物が生息しており、魅力的な地域です。

「ゆるやかな保護区」で自然とともに

開発と保全のバランスは難しいと思いますが、どう考えていくべきなのでしょう。

つい最近、カナダのモントリオールで開催された生物多様性条約第15回締約国会議(COP15)で、「30by30」という国際的な取り決めが締結されました。これは、陸域と海域それぞれの30%を保護区にしようというものです。これの目標を達成する上で、規制だらけの保護区ではなく、いわば「ゆるやかな保護区」として自然共生エリアで対応するのが現実的で、現在このエリア設定のルールづくりが検討されています。

なぜ「ゆるやかな保護区」なのでしょう。

ガチガチの保護区は経済活動や農林水産業を妨げる可能性があり、これは里山の維持やもともと古くからそこに住んでいた人たちの生活や文化を否定することにもなってしまいます。そうではないやり方にしようと、世界的にOECM(=Other Effective area-based Conservation Measures:保護地域以外で生物多様性保全に資する地域)という制度をつくろうと、国際自然保護連合が中心になって、2020年に向けて導入しようと進められてきました。 私は環境省の生物多様性国家戦略や、自然共生エリア(OECM)の検討委員を務めさせて頂いたのですが、丹波の取り組みが国の制度設計の参考になってます。貴重な生物が残されており、農業や林業とも調和した里山の自然や拠点となる施設があって、自然の恵みを良く理解している方々がたくさん暮らしている。そのまま丹波の取り組みが良いモデルになっています。 例えばバイカモの群生地や、川岸に森があって、里山や田んぼが広がっていて、自然に根差した暮らしがあるエリアは、国際ルールのもとで認証されると、丹波の自然が国際的にも注目が集まるかもしれません。

丹波市の里山は、「ゆるやかな保護区」の候補になりそうですね。

指定されるかどうかは市や地元の人たちの政策方針や要望次第ですが、まさに自然共生エリアの里山のイメージと合致していています。〝氷上回廊水分れを〟今までの延長線として国内外に発信し、さまざまなエリアからのフィードバックが生み出されることで、新しい魅力が生まれることを期待しております。